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1790年から1860年にかけてキューバで奴隷制度が全盛を極めていた間、広く行われたプランテーション制度により、自らの意思に反してアフリカから連れて来られたのは、後にキューバでは一般にルクミ、コンゴ、アララ、マンディンガ、ガンガ、マクア、そしてカラバリと呼ばれるようになった多数の異なる民族の者たちであった。
カラバルという名で知られるようになったギニア湾のナイジェリア南東部から現在のカメルーンにかけての一帯に広がるOil Rivers(ニジェール・デルタ)の港から来た奴隷はカラバリと呼ばれた。
その後のキューバ文化の発達において非常に重要だったのは、カラバリ族系のカラバリ・エコイ・イフトとイビビオ・イフィクの存在で、彼らはアフリカではングベとエクペ(イギリス人には、エグボまたはエボと呼ばれた。)という男性の秘密結社を有し、他の町々を威圧し支配した。
彼らの伝説によると、ナサコというエフォ族の魔術師が、至高神アバシを象徴する神秘的な声であるTanzeという魚のうなり声を巧みに操ったのだが、エフォ族の女性シカンもしくはシカネクアによって正体を暴かれ、エフィ族に告げられた。これらのグループへの女性の参加が妨げられていることは、この女性の反逆によるものであると伝えられている。
伝説によると、エフィ族もしくはエフィク族は、Od’dan川の対岸の町に住むエフォ族もしくはエフト族と協定を結んだ。この協定は、秘密結社エグボの規範とともに、お告げの秘密・開示・隠匿・再現または理解などの神秘的財産を通し、カラバリ族によってキューバへ持ち込まれた全ての複雑な伝説を明らかにした。
キューバではカラバリはカビルド・デ・ナシオンに分類され、文化の融合過程において、初めはアフリカ人、後にその子孫たちにより統合され、宗教儀式や芸術は新たな独自の特色をもって発展していった。カラバリのカビルドは基本的にハバナやマタンサスといった西部の州に位置するが、オリエンテ(島の東部)の古い州にも存在し、何らかの形で中央部にも影響を与えた。
1836年、レグラに位置するハバナのカラバリのカビルドのひとつから、エフィク・ブトンと呼ばれる最初のアバクアグループが誕生した。同族同士の継続的なサポートにより、エフォル、エフィク、オル、そしてアパパ出身の新たなグループが現れた。これらのグループの者たちは、自分達を権力、フエゴ(グループ)または国家などと呼びニャニーゴとして知られた。
以来、エグボもしくはエボはアバクアとなった。アバクアの役割は他と異なり、アフリカでの典礼体系をキューバで改造し、相互扶助や隠れ場所として機能する防護的な結社となった。当初、黒人の為の閉鎖的なグループのもとに結成され、その後他のグループのムラート、白人や中国人が入会するとともに、各グループで制定された規則に従い全会員が差別なく混じりあうようになった。
近年アバクアは、港湾地域のみならず工業地帯にも存在し、シウダド・デ・ラ・ハバナ州のレグラ、グァナバコア、セントロ・ハバナ、サン・ミゲル・デル・パドロン、マリアナオ、そしてラ・リサといった都市やマタンサス州マタンサス市やカルデナスに点在する15のグループがある。
プランテ(アバクアの祝祭)は、オボネク(新たな入会者)の宣誓や、プラザ(グループ内の地位や階級)の再編の儀式バロコ、そしてllantosやnyorosと呼ばれる儀式に際し行われる。グループの新設や廃止、捧げものをする際に使用されるpiezas(杖、ドラムなど)の新調や裁判、そして重要な記念日にも集う。最も謎めいたものは、1月6日に行われるマタンサスの重要なアバクアのプラザ(位の高いしかるべきメンバー)の死の追悼である。
フエゴ(グループ)で催される全てのプランテ(儀式や式典)で、同じタイプの音楽が演奏されるが、状況や目的はそれぞれ異なる。その音楽には、呪文、儀式の唄やtoques(特定のドラムのリズム)が含まれる事がある。
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