03 Musica Iyesa - イエサの音楽
2011-01-15


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 1854年マタンサス市にて、このカビルド(同じ民族グループに属する自由な黒人と奴隷の相互扶助組織。)はオルーラ(予知能力を備えた神)を崇拝する21人のババラオ(Ifaと呼ばれる神託を伝えることの出来るサンテリアの司祭)達によって創立された。

 これら21人のババラオは皆、奴隷としてアフリカのイエサ・ランドから連れ出され、後に開放されたもの達であった。彼らは、マタンサスのヨルバ地域出身者のカビルドであるサンタ・テレサ会で出会った。これは、新たにサン・ファン・バウティスタ会の理念のもと始動したイエサの黒人男性によるカビルドである。

 現在(1977年)は、ファン・デ・ディオス・ガルシアにより主宰されている。彼はシプリアン・ガルシア、すなわちこのカビルドの初代の長の息子である。この新しいカビルドはオグンの信奉のもとに発展した。オグンは強い戦士であり、刃物や鍛冶など全ての鉄の神である。マタンサスのサラマンカ187番地にある家では、このオグン・アレレがサン・ファン・バウティスタの像に象徴されて守られているが、この事はアメリカに奴隷船が渡り、アフリカの多様な宗教とスペインのカトリックの融合現象にもなぞらえることが出来る。

 他のイエサのカビルドは統合され、そのうちハバナにあった2つは既に消失している。現在(1977年)までのところ、このマタンサスのサン・ファン・バウティスタ会のみが機能しているとみられる。

 かつてヨルバ・ランドにおいて重要な町であるオヨの西に至るまで、他のヨルバグループにも多大な権力を及ぼしていた小さな王国イエサ・ランドの伝統は、創立者である21人のババラオの子孫たちによって今日も守られている。

 イエサ・ランド(Iyesa、Yesa、Iyessa、Yecha、Iyechaなどの様々な表記がある。)には2つの首都があり、ウレチャには女性が、イボクンには男性が住んでいたとされている。ウレチャは地方、イボクンは都市であった。

 我々の調査によると、オサインという家の玄関の守り神、そして狩人のオチョーシ、オグン、オルーラ、そしてオチュンがイエサ・ランドから来たとされる。

 一般的にイエサの音楽は、少なくとも我々が把握している限りでは、バダドラムやグィロ(チェケレ:ビーズや種子を通した網で覆ってあり振って鳴らす楽器)を用いたものと比べるとそれほどシンプルで統合されたものではない。

 イエサの楽器は、ヨルバ由来の他のアンサンブルよりもその音においてよりパワフルである。三種の両面太鼓から構成され、大きなものはカハもしくはマイヨールと呼ばれる。これら三種のドラムは、イエサの祖先から受け継がれたドラムと考えられている。その後、キューバ独自にバスと呼ばれる低音の、特定の聖人のリズムを演奏するためのドラムが加えられた。

 更に三種のよりパーカッシブな楽器がこのグループに加えられた。ふたつのセンセロ(カウベル)もしくはアゴゴという異なる音程と音質(ひとつはより鮮明な音で、もうひとつはややくぐもった音)を持つ楽器と、葬送歌に使われる小さなグィリート(小さなチェケレ)と呼ばれるビーズや種子のついた網で覆われた楽器である。

 ドラム胴部の緑色はオグン・アレレの色である。緑はサン・ファン・バウティスタ像の衣装の色でもあり、深緑のヤシの葉を刈ったものが付けられている。オグンの祭壇には、様々な緑の植物とその他の象徴物が供えられ、オグン自身は三つ脚の古い鉄鍋の中に宿る。


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[Antologia De La Musica Afrocubana]
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